演劇作家・監督の藤田貴大氏と翻訳家ゲラン・ルアルカ氏に、彼らの作品や制作過程、そして、日比協働オンラインプロジェクト『TAHANAN』について、国際交流基金マニラ日本文化センター所長(鈴木勉)が話を伺いました。
掲載日:2021年5月17日
プロフィール
藤田 貴大 FUJITA Takahiro (演劇作家・監督) 1985年4月生まれ。北海道伊達市出身。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年に「マームとジプシー」を旗揚げ。作品ごとにキャストとスタッフを集め、公演を行っている。全作品の作・演出を担当し、横浜を中心に演劇作品を発表。2008年3月に発表した『ほろほろ』を契機に、いくつもの異なったシーンを複雑に交差させながら、同時進行で描く手法へと変化。作品を象徴するシーンの“リフレイン”を、複数の別の角度から見せる映画的手法を創作の特徴とし、そこから生まれる俳優の身体の変化も劇作に活かしている。また、俳優が持つパーソナリティーを観察し、劇中の人物と擦り合わせることで生まれるリアルさや、多様な演技の質感を作品に大きく反映させている。近年、主な創作テーマとして人間の「記憶」を取り上げている。 心象風景=記憶を、アングルを変えた反復/リフレインとして描くという手法を開拓したことで知られる。ヨーロッパや世界のほかの地域での協働プロジェクトの実績はあるものの、東南アジアにおいてはこのプロジェクトが初。 ゲラン・バレラ・ルアルカ Guelan Varela Luarca (翻訳家) 演劇作家、翻訳家、俳優、舞台監督。一幕のみの演劇作品で、ドン・カルロス・パランカ記念文学賞を2度受賞。国際舞台芸術ミーティング in 横浜、バンコク国際舞台芸術ミーティングやその他国際フェスティバルに参加し、シェイクスピア、翻案、翻訳、その他演劇実践に関するセミナーやレクチャー、発表を行っている。監督、シェイクスピア上演、演劇理論などについて教えている。現在、アテネオ・デ・マニラ大学の劇団タンハラン・アテネオのアーティスティック・ディレクター。 |
『TAHANAN(タハナン)』について
日本の現代演劇界を代表する藤田貴大氏とフィリピンの4地域(マニラ、ルソン、ヴィサヤ、ミンダナオ)から集められた計24名の俳優・劇作家による、日比協働オンラインプロジェクト。国際交流基金マニラ日本文化センターとアテネオ・デ・マニラ大学の劇団タンハラン・アテネオ、ボホール州のコミュニテイー劇団カシン・シニン、ラ・サール大学オザミス・キャンパスの劇団テアトロ・ギンディガンにより立ち上げられたプロジェクトで、日本とフィリピンの芸術家が、馴染みのある、しかしユニークな話を語ることで繋がり、一つになる「共有空間」を作れるかどうか、その可能性を探ることを目指している。
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TAHANAN トーク・エクスチェンジ
鈴木勉 (以下 鈴木): みなさま、本日はご視聴いただきありがとうございます。この対談の司会・進行を務めます、国際交流基金マニラ日本文化センターの鈴木勉と申します。
今回、藤田貴大さん、そしてマームとジプシーのスタッフの皆さんと、フィリピン全国から総勢24名の俳優とのコラボレーションを進めています。作品のタイトル「TAHANAN」(タハナン)の通り、「家」をテーマにオンランでワークショップ、それを受けて藤田さんによる新作戯曲の書き下ろし、そして演出していただいた作品を映像にして発表するという試みです。本日のトークには、藤田貴大さん、そして、フィリピン側のゲストとして、今回のプロジェクトに翻訳家として参加していただいているゲラン・ヴァレラ・ルアルカさんにも加わっていただきます。
藤田さんは高校の時に演劇部に入っておられて、全国大会にも出られたし、その後、東京の大学では、フィリピンで2018年に「マニラノート」を演出した平田オリザさんからも教えを受けていて、いわゆる演劇の王道を歩んで来られたような印象ですが、そもそも演劇を志されたきっかけを教えていただけますか。
藤田貴大 (以下 藤田): 僕は、北海道の伊達市で育ち、10歳の時にそこの市民劇団に入りました。最初は子役でずっと演劇をやっていて、その劇団の演出家の影山吉則先生が伊達緑丘高校で教えていたので、その高校に入り、演劇を続けました。そこの演劇部は全国大会に行くようなところで、その大会の審査員をされていたのが平田オリザ さんでした。大学には、平田オリザさんがいらっしゃるということで、桜美林大学に入学したのですが、僕が大学二年生の時にお辞めになりました。
鈴木: コミュニティシアターはフィリピンでは沢山あるような気がしますが、日本では少ないと思います。やはり最初の出会いがとても幸運だったということなんでしょうね。今日は主にフィリピンの方々に藤田さんをご紹介するにあたって、私自身が観たことのある2つの作品に絞って、お話を伺いたいと思いますが、まずは「cocoon」です。

これは第二次世界大戦の際の沖縄での米軍との戦闘、その時に負傷兵を看護した女子学生たちの悲劇を描いたものです。これは日本で大変評判になり再演も重ねられていますが、藤田さんは、戦争を知らない世代として、この作品に寄せた想いのようなものについてお聞かせください。
藤田: cocoonという作品は、漫画家の今日マチ子さんの作品を原作にしています。鈴木さんが言うように、第二次世界大戦末期に沖縄で行われた地上戦の負傷兵を看護していた「ひめゆり学徒隊」がモチーフになっています。cocoonに着手するまでは僕自身の記憶をテーマに創作をしていたということもあり、戦争など自分が体験していないような大きなモチーフになかなか着手出来ずにいました。ただ、今日マチ子さんのcocoonを読んだ時に、「戦争やあの時代の沖縄をこういう手つきで描けるんだ」と驚いたんです。これだったら僕も「戦争」という大きなモチーフに挑戦できるかもしれないと思い、取り組み始めました。

今日さんも僕も、そこに関わった音楽家やキャストもみんな戦争を知らない世代です。また、沖縄で生まれ育ったわけでもない僕らがどうして沖縄戦をモチーフに描いているのか、今も考え続けています。ただ、僕が大切だと思っているのは、沖縄出身でなくても、戦争を知らなくても、そのことを扱ってよいと思うし、知らない時代や土地だからこそ、僕らはそのことを想像して、考えるべきじゃないかと思うんです。僕らが演劇でどこまで手を伸ばすことができるか、ということをしたかったんです。
それは演劇という表現自体もそういう作業でもあるように思います。例えば、観客の皆さんも劇場でとても特殊な物語に触れるわけですが、そこに行ったわけではないのに、その時代や土地のことを想像する。演劇というのはそういうものでもあると思います。.
鈴木: ありがとうございました。今日なぜこの話をしたかと言うと、やはり沖縄というところが、フィリピンの人と同じように、戦争とアメリカ軍との関係で多くの人が犠牲になっている、そしてそれを漫画で描いたり、藤田さんのように演劇で表現する人がいるということをフィリピンの方たちにもご紹介したいと思ったからです。
藤田: 日本の戦争を描くということは、対アメリカだけではないんですよね。当時の日本の政府や軍隊の話になるから、それが少しフィリピンとも繋がりますよね。あの頃の日本がフィリピンにしたことというのは確実にあるし、そのこととcocoonは全く無関係ではないな、と思います。cocoonで描いているのも対アメリカだけではなく、日本がしたことでもあるので。
鈴木: もう一つの作品は、今回の新作ともテーマが近いと思うのですが、「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」、について伺います。物語は、上京して故郷を想う三兄妹の記憶を辿っていくような構成になっていますが、この芝居の演出には非常に特徴的な、リフレイン、繰り返しという手法が使われていて、それは他の藤田さんの多くの作品にも用いられています。そこで、この作品に込めた想いと、なぜそのリフレインという手法を用いるのか、そのあたりを伺いたいと思います。
藤田: 20代の半ばだったので、思い出せない部分もあるのですが、当時から、壮大なストーリーを描くというよりも自分の中にある記憶の風景をどのように物語っていくかということや、自分の家族や自分の一番深いところにある感情をどう描くかということを常に考えていました。それは、家族を失って悲しいという直接的な感情だけでなく、家の中の間取りとか、家の中でどういう記憶があったかなど、自分の中で精査しながら、描き方について実験的に取り組んでいたと思います。

また、上演時間の中で同じシーンを何度も繰り返し描くということは、人が誰かや何かを思い出すときに繰り返しその光景が頭に蘇るという「記憶器官」について考えたかったんだと思います。
鈴木:今の藤田さんの話に出てきた、家、間取り、記憶、という問題は、今回脚本を拝見した時に、すぐにこの作品を思い浮かべたんですが、このお話は後半お伺いしたいと思います。
もう一つだけ藤田さんに伺いますが、国際共同制作という意味では、東南アジアでは今回初めてということですが、イタリアの演劇人とは長い間共同制作を続けておられると思います。それについて、どんな発見があったのか教えていただけますか?
藤田: イタリアの皆さんとはもう4、5年一緒に作業をしていて、日本人の俳優も連れて、日本とイタリアを往復し続けています。毎回新しい発見があり、彼らの身体の中に異なる文化があるし、食べるものや、考え方の観点も違うので、日本の俳優と作っているのとでは全く違うところに手が届いた感覚がありました。そして、自分はこういうモチーフも描けるんだ、と自分自身の新しい側面を再発見していくような、かけがえのない時間になっています。

「Il Mio Tempo -わたしの時間-」という作品なんですが、「私の時間」というモチーフの中で、どんなことが描けるかずっと考えています。その作品ではホテルが舞台になっていて、インタビューのそれぞれの個人的なエピソードを、僕が構成して一つの「ホテル」という場所を立ち上げました。今回のフィリピンの皆さんとの作業でインタビューを元にシェアハウスを描いたことにも繋がっている気がしますね。
鈴木: では次に、ゲランさんにお伺いします。ゲランさんは現在アテネオ・デ・マニラ大学というフィリピンでも有数の私立大学の劇団であり、フィリピンを代表する劇団のアーティスティック・ディレクターを若くして務めておられます。日本の皆さんも多くご視聴いただいていると思いますので、自己紹介を兼ねて、演劇を志されたきっかけなどを伺えますか?
ゲラン・ルアルカ (以下ルアルカ): 現在、私はアテネオ・デ・マニラ大学芸術学部の教員で、主に同大学の演劇プログラムに関連する科目を教えています。父も舞台俳優なので、子供の頃から演劇に親しんでいました。私が若い頃、父は私を彼の演劇によく連れて行ってくれ、そこで演劇の世界を知りました。しかし、劇団に入団したのはアテネオ・デ・マニラ大学付属高校に入学してからで、そこで俳優として関わり、後にシェークスピアやチェーホフのような西洋古典を、翻訳者として現代語に訳すようになりました。高校では初めて演出も行い、それがきっかけでアテネオ大学入学後も演劇に携わり、卒業後、現在は同大学で演劇を教えています。

鈴木: フィリピンには演劇一家が多いという印象がありますが、ゲランさんから見て、お父さんの世代の演劇とゲランさんの世代の演劇とどのように違うのか、そして、何か乗り越えていきたい、ということや、違うことをやっていきたい、といったお気持ちをお伺いできますか。
ルアルカ: 若い頃の父の演劇作品や、演劇分野での「ナショナル・アーティスト(フィリピン国民芸術家)」であるローランド・ティニオ氏のような偉大な芸術家と父が一緒に仕事をしていた時の芝居を観たことはありません。しかし、子供の頃実際に観たことのある舞台は主に西洋古典劇で、彼らの演じ方をみても、古典的な演劇訓練を受けていたことは明らかでした。
私たちもまだ、その古典的な演劇訓練を踏襲しているので、私たちの演劇と当時の演劇で大きな違いがあるとは言いません。しかし、私が気づいた違いがあるとすれば、おそらく、現時点、私たちの時代では、演劇はよりプロフェッショナルになったことだと思います。舞台俳優は大学で(演劇の)コースを受講し、そのため西洋からの影響も多く、その影響には、古典的で伝統的な西洋劇だけではなく、実験的な西洋のデバイス・シアターなどもあります。ですので、新しい試みが起こり始ていますし、ごく最近は演劇ブームもおきています。以前は、演劇は社会の上級階級により消費されていましたが、今は演劇が大衆の人気を集めています。中級階級がより演劇を観るようになりました。そして、映画も、舞台上でどの様に物語が語られるかといったストーリーテリングに大きな影響を与えています。最近は多くの新しい試みが、特に、毎年開催される演劇祭、ヴァージン・ラブフェスト (Virgin Labfest) を通して起こっています。ある時期、上演される演劇は西洋古典か西洋作品の翻訳劇、もしくは西洋ミュージカルばかりのときもありましたが、今ではフィリピンオリジナルの劇作品や、アジアの演劇も増えています。
鈴木: ゲランさんは、脚本、演出に加えて、シェークスピア作品をタガログ語に4作品も翻訳されるなど多才ですが、中でも2018年の演出作品、その年のベストプレイにも選ばれた、デサパレシドス(Desaparesidos)について伺います。
フィリピンでは日本とは少し違って、若いアーティストが政治的なテーマを真正面から扱うことが多い気がします。この作品も、1980年代のマルコス大統領による戒厳令下で反対運動に身を投じた主人公のその後の人生を描いていますが、この作品についてのゲランさんの思い、そして創作を通して、現在の人々、特に若者にどのようなメッセージを伝えたかったのかを伺いたいと思います。

ルアルカ:「デサパレシドス」の物語は、ルアルハティ・バウティスタの小説をもとにしています。特に、マルコスの名を持つものや、マルコス時代の政治家たちが政権復帰を目論んでいたため、私たちの世代やより若い世代には、私たちの歴史の暗黒の時代を思い出させる必要があると思い、劇にしました。彼らは政権に復帰するため、歴史修正主義をとっています。おそらく演劇の役割の一つは、人として私たちが忘却しないようにすることです。そこで私は、教室で学ぶ情報、暗記する名前、暗記する日にち等が生きた鮮やかな光景になるように、その作品を舞台化しました。劇場という空間で直観的に体験してもらうためです。知識が体験に変わった時、学習がより深まり、そして、私たちは歴史のその暗い過去から前へ進むことができるでしょう。
鈴木: 今のお話を伺っていると、フィリピンと日本のアーティストの違いを敢えて言うならば、良い悪いは別として、このような現代史に対して、直接的にエンゲージするか、間接的にエンゲージメントしていくか、というスタンスの違いがあるのかな、と感じました。
ここから、今回のコラボレーションについてお伺いします。 まず、藤田さんにお伺いします。今回は、フィリピン全土を地理区分に従い、4つの地域に分けて、各地域から6人ずつ、計24名の俳優と、個別に1時間ずつのインタビューを行い、それを元に戯曲を書いて作品化してゆくというプロセスを取りました。まずは本作品のねらいと、これまでの作業の中での色々な発見についてお伺いできますか?
藤田:とても楽しかったです。ワークショップの参加者24人に、5日間かけて一人ずつ、合計24時間インタビューしました。初めてフィリピンの方と話したので、驚くことがたくさんありました。
僕自身まだ訪れたことがないフィリピンという土地を想像しながら、料理を作ったり、本を読んだり、準備は進めました。オンラインでの作業になりましたが、インタビューをしながら、フィリピンに住む人たちの生活を想像し、その人たちが住む建物を演劇として立ち上げていくということが、フィリピンでもできたので、それがとても面白かったです。そういう意味では、イタリアとの共同制作や日本でのワークショップとあまり変わらない作業ができたと思います。
このワークショップで、どんな作業をしたかと言うと、まずは参加者それぞれに1対1のインタビューを行いました。その時の僕からの質問はただ一つで「今、住んでいるお家は、どういう間取りですか。」というものです。僕からはその質問しかしていないのですが、間取りを聞いていくと、例えば「幼い頃住んでいた家は、火事で焼けてしまって・・・」とか、そこでの記憶やエピソードを話してくれました。だからテキストも面白くなったんだと思います。
参加者のみなさん、明るくて、話していて気持ちの良い人が多かったです。疲れましたが、楽しく作業ができました。今回、それぞれの話の内容からと言うよりも、みんなの話している雰囲気や生活を感じて、フィリピンのことを多少受け取れた感じがあります。それはどこの土地とも似ていないものですから、とても楽しかったです。本当にフィリピンと出会えて良かったな、と思っています。
ただ、一方で新しい土地と出会うときに、どんなに勉強したりそこに住む人たちに話を聞いたとしても、その土地を知った気になることはあまり好きではないです。だから、いくらインタビューをしていても僕はその土地を知った気にはなれない。50-60年そこに生活しないとわからないことがあると思うので、こういうお仕事をする時、僕は「よそ者」というスタンスでいます。“
鈴木: 大変面白いお話ですね。生活の想像、とか雰囲気を感じる、というお話がありましたが、象徴的だな、と思ったのが、料理ですよね。その日のうちに作って、味見されるということを聞いて本当に驚きました。異なる文化に接触する時には、自分の中の潜在能力を引き出していきながら理解していくのかな、ということがとてもよくわかりました。我々は文化交流を実施していますので、大変勉強になりました。
藤田:ライン(Laing)を作るのに、タロイモの葉を手に入れるのが一番難しかったです。
鈴木: 次にゲランさん。ゲランさんは今回翻訳者として関わっていただきましたが、プロジェクトに参加されてどのような発見がありましたか?
ルアルカ: 多くの理由で非常に興奮していました。その一つが、このプロジェクトに参加しないかとマニラ日本文化センターから連絡を受けた時に、藤田さんがインタビューの過程を通じて戯曲を描かれるということを知ったことです。私自身も、俳優たちとのワークショップを通じてスクリブトを作成しており、非常に良く似た手法で実践しているので、相通じるものがありました。ですので、私が実践している手法と同じような精神で実行するプロジェクトに参加することが非常に楽しみでした。
それに加え、私は日本の演劇や戯曲の大ファンです。日本の戯曲は簡潔で抑制的であると同時に、静けさと率直さの裏に実は表面に出さない多くの感情があります。私達フィリピン人の戯曲は、直接的に感情を描く傾向があります。気持ちをありのままに表現する登場人物を描くのが好きなのです。ですので、私にとって翻訳すること、つまりフィリピン語で書き替えることは、とても刺激的に思えました。日本の心もしくは日本の精神をもって、フィリピン語で何かを書くということ。その組み合わせは素晴らしいと思いますし、今日の午後出席したZoomによる撮影で証明されています。
また、俳優たちは、フィリピンの演劇では通常行わないことを実践していました。先ほども言ったように、我々は感情を出すことに慣れていますが、ここでは、感情を抑え、クールで現実的であることが求められました。しかし、藤田さんの脚本と、俳優たちの演技の中には、真の痛みを感じる瞬間が多々ありました。敢えて言いますが、沈黙だからこそドラマチックとなったシーンもありました。非常にシンプルで、とても日本的なトーンでしたね。
藤田: 一つ付け加えたいのですが、今コロナ禍のために現地に行けず、オンラインでワークショップを行った訳なのですが、コロナ禍だから聞き出せたことも沢山あったように思います。日本の僕らも演劇界のみならず社会全体が不安な状況で、その中でどういう風に芸術とか表現を考えていこうか、という不安は抱えていると思います。でもそれは日本だけの話じゃなくて、フィリピンの人たちとも似ているような気がしたし、みんな家の中で、どうしようか、どうしようか、とそれぞれ考えていたことがインタビュー中も爆発していた部分がありました。日本人との違いを感じたのは、インタビューの中で、かなり政治的なことや政治に対する不満をあからさまに爆発させていて、それを聞けたのも良い経験です。僕と考えが近いことが知れたのも嬉しかったです。
鈴木: お話を伺っていると、これはよく言われることですが、表現の方法など、同じものと異なるものとのバトル、この両方があってこそ、国際共同制作といった国や文化を超えて行う作業の醍醐味、面白さがあるのではないかと、あらためて思いました。では、ゲランさんから藤田さんに何か質問はありますか?
ルアルカ: もう少しだけ藤田さんのプロセスに関する試みについてお話を伺いたいです。先程も言ったように、私のプロセスでも行っていることですので、藤田さんが俳優にインタビューをして台本を作成する方法についてもっと詳しく教えてください。
藤田: インタビューをもとに作る作品で心がけているのは、ドキュメンタリーとしてその人のエピソードをそのまま作品にしない、ということです。その人の話をその人が本当のように話すのではなく、自分の中で「フィクション」にできるエピソードを抽出して、濾過しながら、物語を立ち上げていくようにしています。つまり、それぞれから聞いたエピソードを自分が作る作品のモチーフや素材として自分に取り込み、最終的には一つのフィクションの作品として仕上げています。そうしないと、相手に失礼だと思うし、単なるエピソードの搾取、その人の面白いエピソードを面白がっているだけみたいになるので、そういう部分はすごく気をつけながらやっています。
今回も一緒に住んでいるはずのない人たちを作品の中では一緒に住んでいる設定にしているので、その時点でフィクションなわけです。
今回とても難しいと思ったのが、言語の多さです。翻訳といっても大変ですよね。伝わるだけなら英語やフィリピノ語でいいことは分かったのですが、俳優と何か共同制作するとき、俳優に一番馴染んだ言葉を選んでもらおうとすると、多くの選択肢があるということです。だから、フィリピンと共同制作するときには、考えることがとても多くなると思いました。
ここでゲランさんに伺いたいのは、一体どのように翻訳したのか、ということです。
ルアルカ: 例えば、翻訳プロセスが始まろうとした時のことを思い出します。最初に台本を読んだとき、まずはビサヤ地方とミンダナオ地方の部分に対して疑問を持ちました。フィリピン語(タガログ語をベースとした国語)に訳すべきか、ビサヤ語の翻訳にすべきか、それとも俳優が実際に話した言語にすべきか?しかし、今回はやむを得ず、時間的な制約もあり、英語かフィリピン語のどちらかを選ばなければいけないと説明され、フィリピン語を使用することしました。しかし、フィリピン語の会話は、実際に日常的なフィリピン語で会話をするときは、文語的または演劇的なフィリピン語ではなく、英語とタガログ語の奇妙な混ぜ合わせである「タグリッシュ」と呼ぶものを使うことになります。これは、フィリピンで使われている他の言語にも当てはまると思います。フィリピンでは方言だけではなく、全く異なる言語が使われています。ビサヤ語でも英語と混ぜて話すこともあります。ですので、藤田さんがこの点を難しいと思うことは理解できます。確かに大変ではありますが、一方で、楽しい問題ともいえます。一度に多くの翻訳者と一緒に働くことを意味するので、新しい経験もできますし、本当にお勧めします。藤田さんの演劇が群島的になるという考え、それは単一文化ではく、異なる言語や文化を持つ諸島を扱っているからです。ということは、藤田さんの脚本も、第2ステージ、第3ステージへと発展していくのではないでしょうか。
藤田: 途方もないな、と思ったんです。フィリピンの俳優と作りました、といっても、一言で言えませんよね。フィリピンのどこの俳優と作ったのか、どのような言葉でやったのか。でも、その複雑さがとても面白いと思いました。
まあ、でも日本でも同じですよね。はじめに外国の人が京都に来て日本語を話すようになったら、それは関西弁まじりの言葉になったりするだろうし。でも、きっとフィリピンは、それとは全く次元の違う状況なのだろう、と思います。今回の作業でフィリピンとの関わりが終わるとは思っていなくて、この先もいろいろなプロジェクトにつながると思っているので、そのことについても考えていきたいと思ってます。
鈴木: 最後に、藤田さんから視聴者の皆さんにメッセージをお願いします。
藤田: 東南アジアとのクリエーションは今までやったことがなかったので、今回のフィリピンとのプロジェクトで、まず皆さんに出会えたということが成果だと思っています。当初考えていたものよりも時間もかけ、凝ったものになったので、ぜひ楽しんでいただけたらと思います。
鈴木: ありがとうございました。とても興味深いお話だったと思います。
最後にタイトルに戻って「Tahanan(タハナン)」ですが、昨今では時々、親密圏(Intimate sphere)という言葉を耳にします。コロナにより個人個人が分断されやすい時代となって、その意味はますます大きくなっているかもしれません。血は繋がっていないけれど、他者に対して開かれた関係、空間はどのように築かれるのか、今回はさらにそれをバーチャルな空間で試みたわけですが、その困難さと、可能性の両面を見せてくれる作品ではないかと思いました。藤田さん、ゲランさん、本日はありがとうございました。
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TAHANAN の全4作品は下記チャンネルから視聴できます。
MUM&GYPSY 公式ウェブサイト: http://mum-gypsy.com/wp-mum/archives/news/tahananJFM’s official
国際交流基金マニラ日本文化センター 公式ウェブサイト: https://jfmo.org.ph/events-and-courses/tahanan/